妻への感謝(1)

妻は1948年11月生まれで、学校卒業したばかりの21歳の若さで、私に嫁いでくれました。私が1941年5月生まれ、29歳、7.5歳の年齢差でした。

そんな彼女に、私は仕事で忙しいという理由で、新婚旅行の計画を立てさせたりしました。結婚しても高校、大学の奨学金の支払が私の給料では苦しいため、自発的にパートで働き家計をカバーしてくれました。

結婚5年目で待望の娘が生まれた当時、私はイラン、イラク、東独等長期海外出張で留守がちでしたが、良く留守を守り、大事に愛情込めて娘を育ててくれました。また、エアメールで良く近況を知らせてくれましたが多忙を理由にあまり返事は出しませんでした。

私が定年2年前に、中小企業診断士社会保険労務士保有資格活用のため退社するか迷った時、娘も結婚が決まった時でもあり、2人だけなら何とかなると背中を押してくれました。

私が独立した時、請求書の発行、確定申告等妻に任せてしまいました。

また、自発的に運転免許を取り、最寄り駅までの送迎等をしてくれました。また、ホームヘルパー2級の資格を取っていました。年齢差から言って当然先に逝くだろう私の介護をしてくれるつもりだったと思います。

そんな中でも、妻は、洋裁、和裁ともに得意で頼まれて教室を開いたり、2週間ほど喫茶店を借り切って創作帽子店を開催したりしました。評判が良く、即売で結構売れて借り切り料を払っても利益が出ると楽しんでいました。

退職後、提案して年1回海外旅行を楽しみました。ニュージーランド、中国、台湾に行きました。ところが、妻の実家に家族で行った留守中に娘の下着泥棒に入られました。それをきっかけに犬を飼うようになり、妻が可愛がったため、犬を置いて宿泊旅行には行けないということで、犬が亡くなるまで、二人一緒の宿泊旅行はお預けになりました。犬が亡くなってからの二人一緒の宿泊旅行は、小豆島、沖縄、北海道、イタリアが最後になりました。尤も、ツアーのサービス内容について、私がぶつついたりするので私との旅行はあまり楽しくなかったようですが。

その後は、もっぱら私一人での国内旅行のみとなり、年を取ると体力的に海外旅行はできなくなるからと妻に勧められて、スリランカに行ったのが私にとって最後の海外旅行になりました。妻は、フアンクラブに参加しての中国・大連が最後の海外旅行になりました。